個人が好きなものを追求するとか、自分らしさを発信するとか、そういった標榜はいつの時代にもあるのだろうが、ここ数年で特に言われるようになったと思う。自分に向き合うのは基本的には良いことだと思う一方で、現代というのは好きなものに対する感度や感性を磨くのが難しい環境だと感じる。
ビジネスにAIDMAという購買プロセスにおける古典的なフレームワークがある。
Attention:注目、商品やサービスを知る Interest:興味を持つ Desire:欲しいと思う Memory:記憶する Action:購買する
という順番で購買の意思決定がされるというものだ。とても良く出来た概念ではあるが、この概念は1920年代にアメリカで誕生したこともあり、現代の購買プロセスを説明するには不十分になってきた。
このことに電通が着目し、2005年にAISASという概念にまとめた。
Attention:注目、商品やサービスを知る Interest:興味を持つ Search:検索する Action:購買する Shere:共有する
興味を持つまでは同様だが、そのあとの購買プロセスが異なる。AIDMAの時代にはなかったインターネットが登場し、購買前の情報収集が容易になった。
ここで提唱されているSearchという部分だが、自分から積極的に情報を集めなくても、ECサイトやSNSを覗けば嫌でもレビューや評判を目にすることになる。それらが単純に悪いものだと言いたいわけではなく、もちろん良い面もたくさんある。知らなかったコンテンツと出会うきっかけになったり、購買するときの参考になったりする。一方で、それだけになってしまうと、自分の感性がどう働いているのかを知る機会が損なわれるように思うのだ。他者の感想が時にわずらわしいと感じることすらある。できるだけサラな状態で対象と向き合いたいのに、他者の評価を見てしまうと、それを知らなかった頃の気持ちで対象と向き合うことがとても難しくなる。
なので、日常的にコンテンツへの向き合い方を工夫している。ぼくは本屋さんや古本屋さんにしばしば出かけるが、そこで様々な分野の本を眺めたり手に取ったり、もちろん購入したりする。買った本を読み終わるまで、SNSの感想やECサイトのレビューは見ない。
先日、オープンしたばかりの角川武蔵野ミュージアムに行ってきた。埼玉県所沢市の再開発によって誕生した大規模複合施設「ところざわサクラタウン」内にある施設で、2020年11月6日にグランドオープンした。ここの館長は松岡正剛さんで、以前、丸の内にある丸善の中に「松丸本舗」というショップインショップをやられていた。ぼくは松丸本舗が好きでしばしば足を運んでは、いろいろな本を買っていたのだ。松丸本舗の大きな特徴は本と本の関係性をジャンルではなくテーマや文脈によって括る文脈棚で松岡正剛さんの視点で陳列されいた。角川武蔵野ミュージアムも文脈棚は受け継がれていて、9つの大きなテーマで選書されている。文脈棚は選書する人の個性によって面構えが大きく変わる。松丸本舗は松岡正剛さんの個性が大いに発揮されていた印象だが、角川武蔵野ミュージアムでは主張が最低限に抑えられていて、来場者自身が考える余白が多いと感じた。長時間滞在したくなるし、何度も通いたくなる。
行ってみて今更ながら気づいたのだが、ぼくは「本を読むのが好き」ということもあるが、それとは別に「良い(あるいは良さそうな)本に囲まれている空間」がとても好きなようだ。文脈棚の他にも本棚劇場という映える空間があるが、ここも楽しい。本に囲まれているとそれだけで様々な刺激があり、いろいろなアイデアが湧き、楽しくなってくる。なので、本には触らず、ただ単にうろうろとする時間もそれなりにあった。角川武蔵野ミュージアムは本棚を堪能するだけでもかなりの時間を要するし、企画展もいろいろとあるので、あらためて行こうと思う。
お気に入のスポットが増えるのはうれしいが、あいにくと頻繁に行ける距離ではないのが残念ではある。普段よく行くのは近所にある古本屋さんや大型書店で、散歩がてらふらっと寄る。自分の関心に気をつけながら本を眺めると、行く度に思いがけない発見があって楽しい。ちなみに、先日は古本屋さんで『天狗の研究』なる本を発見し救出した(購入した)。
「天狗は生きている」という、なんとも壮大なロマンあふれる書き出し。こんな本、読まないでいられるだろうか。いずれにしても、この情報過多時代に嫌でも目に入ってくる他者の評価を極力抑えた買い物をして、思い切り体験し、自分なりの感想を持つということは、当たり前のようで難しく、ちょっとした工夫が必要なのだ。というよりも、もしかしたら贅沢品になってきているのかもしれない。